与儀の歴史
與儀村の事跡について(創立二十周年 与儀八三会 記念誌より)
與儀村の事跡については、琉球国由来記、及び旧記球陽、この他の文献にも何等記録されたものがないので、今のところ不明であるがしかしながら古くから與儀の発祥については、
国場の焼瓦の祖、唐大主こと渡嘉敷真三郎と関係があったのではないかと考えられる。
それは現在壷屋の方々が今もって、與儀の御嶽を祭祀することによっても解るが、一面又地理的に與儀と壷屋が隣接し、壷屋村が新設される以前は、此の地も與儀に属していたのではないか、その為御嶽を祭祀するのか、
或いは又窯業との関係があるから祭祀するのか明らかではない。
しかし、壷屋の旧家がある壷屋與儀子の一門や島袋、高江洲、城間一門も與儀の御嶽を崇信しているこの点窯業と何等かのつながりがあることが察せられる。
この外、更に與儀の部落が渡嘉敷真三郎の子孫に依って作られたのではないかとも考えられる。
与儀の旧家である宮里栄輝氏の御先祖も渡嘉敷真三郎の子孫だと伝えられているし、この外にも尚これを証すべき事実があると思う。
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